ANA国内線【PR】

MARVIN GAYE専用ブログです♪ 私の愛するマービン・ゲイ。彼の人生を、歌を、愛を、神を語ります。当サイトの内容の一部または全部を著作権法の定める範囲を越え、無断で複製、転載を禁じます。
by leonidy21
XML | ATOM

skin by excite
EPILOGUE~DEAR MARVIN GAYE
4月1日、エイプリルフールズディ‥

MARVIN PENTZ GAYE.JR がこの世を去って、もうすぐ四半世紀が流れようとしている。


それでも、彼の声は私達の胸を震わせて止まない。そして、これからもきっと歌い継がれ、語り継がれて行くのだろう。それだけは、確実だ。毎年、儀式のように4月1日には、WHAT’S GOING ONがラジオから流れ、MERCY MERCY MEが続いて流れ、私達はMARVIN GAYEを偲ぶ。

私がMARVIN GAYEを認識して以来、この日には必ず彼の音楽を聴いている。

けれど、今は以前とは少し違う。もちろん、彼をの偲ぶ気持は当然の事ながら‥私の中で完全にMARVIN GAYEの存在が変化した。うまく言葉では説明できないけれど‥私なりに語ってみたい。


私が、MARVINの人生を訪ねてあれこれ読み耽った日々を振り返ると、なんだか、はしかのようなものに冒されていたような感覚に近いなぁ、と今感じている。 ウィルスのように、ある意味、TAKE OVERされてしまった。そして、私は免疫を得る為に出来る限りの彼の情報を私のDNAに細かく刻み込んで、染み込ませ、完全に免疫化したような気分だ。喉元を過ぎ去ってみれば、彼の音楽は、大袈裟な言い方を許してもらえるのなら、私の 身体の一部になってしまった、という感じに近い。更に、許してもらえるのなら‥自惚れ100%承知で‥MARVIN GAYEは私の中で完全に生き続けている、と言わせてもらいたい。ジャンや、アンナが聞いたら「ナニイッテンのよ!アンタ!」ってな感じだろうが。笑

ここまで書いて、はっきり言って一人よがりだなぁ‥こういう感覚って。笑 ま、いっか!許してもらおうじゃないか!今日はなんてたって、4月1日だもんね!

無人島に1曲だけ、音楽を持っていっていい、と言われたら選ぶ曲は、間違いなMARVIN GAYEの曲のどれかを選ぶだろう。細胞のひとつなので、離れられないのだ。常にBGMに流れていて安心する。彼の声が耳に聴こえるだけで、心が満たされる。ビンちゃん以外の男性に、これほどの想いを抱いたのは、かなり久々と思われる。笑私の棺おけの中には、必ずMARVINを入れてもらわねばならない。あの世でも聴き続けたい声。しかし‥どのアルバムか‥を決めるには、一ヶ月くらい時間が必要だね。笑 吟味に吟味を重ね、自分で作るかな。笑

もし、もしもMARVINが生きていてくれたら‥!!
という事を以前は、いつも思っていた。けれど、彼の人生はあの時点で終了する運命であった、 と思えて仕方がない。それ以降の彼の姿を想像する事ができない。こうだったらなぁ、と思いつつ、じゃぁ現実に‥と言われると、年老いたMARVINGAYEは、やっぱり存在し得ない。

あの時、あの時点で‥彼の役目は終わってしまったのだ‥と、私は思う。ドラッグに溺れてしまったから‥などなど、いろいろ言われてはいるけれど、RAY CHARLESだって、かなりの常用者であったけれど、彼は彼の生を生き抜けた。そう思うと、やっぱり‥ドラッグとか、そういう外部的な理由じゃなのだろうね。彼の生きてきた道、選択、家族との関係複合的に負のスパイラルの中で精神をすり減らして、これ以上生きてく事‥ができなかったのかな‥というのが、私の感じたところだ。私の個人的な憶測だけど‥父に射殺されたのは、事実だけれど、あれは彼なりの、自殺方法だったのだと思う。自分で引き金を引く事ができない、臆病者だった彼は、それならば、あの父親に引き金を引かせて、あとは、神の導くまま‥に、というのが、潜在意識の中にあったのではないかな‥。もちろん、これは神様のみ知る処だけどね。

だけど、だけど‥この眼で、耳で、彼の声を生で聴く事ができなかった、という事実は‥一生引っかかり続けるんだろうな。(涙)

彼の人生を辿って、一番深く印象を受けた場面は、そして、OSTENDに滞在中に、古びた教会でLORD'SPRAYERを歌うマービンの姿だ。あれが彼の本来の姿であり、神から捧げられたその聖なる声で、神の御前で歌う彼は、限りなく天使に近い姿であっただろうと、想像する。

MARVINは、常に無償の愛を求め続けていた‥けど、彼は彼自身を愛する事ができなかったのではなかろうか。彼の傷、心の痛みを音楽という媒体で芸術に塗り替えて人々にその痛みを表現し続けて、倒れてしまった。彼の歌う声は、愛を求めるPRAYERであり、唯一それを具現してくれるのが神だけだった。彼の歌声を聴く時、セクシュアリズムの中に流れる神への果てしない尊敬と愛を求める声が耳の奥底に聴こえて来る。そして、それはとてもスピリチャルな体験に変化する。

「この、WHAT'S GOING ON、なんかいいねぇ?」と、彼の名を知らずとも耳を軽く傾ける人たちであろうと、私のようにDNA刷り込まれたオタクであっても、MARVINを聴き継いで行くことに変わりはないと思う。こうして、ありとあらゆる聴き方で彼の音楽を受け継いで行くことが大切なんだと思う。彼の名を、声を、そして歌を、耳の奥に残しておく事が、大切なんだと思う。

どう足掻いたって、消える事なんて、絶対にないにせよ‥100年後、200年後にも、残っていてほしい、と心から願わずにはいられない。

私の人生と、MARVIN GAYEの人生には、全くの何の接点もない。だけど、ひとつだけ、叶う事ならば、彼の生きた時代に、私も彼の声をその時代と共に聴いてみたかった、それだけは心残り。とはいえ、どんな形にせよ、私はMARVIN GAYEと音楽を通して知る事が出来た。これは、私の人生の中でも大きな位置を占める。神様、有難うございます。

最後に、MARVIN GAYE、貴方にLORD'S PRAYERを捧げます。


Our Father, Who art in heaven,

 Hallow'd be Thy Name.

 Thy kingdom come, Thy will be done

 On earth as it is in heaven.

 Give us this day our daily bread,

 And forgive us our debts,

 As we forgive our debtors.

 And lead us not into temptation,

 But deliver us from evil,

 For Thine is the kingdom

 And the power, and the glory, forever.

 Amen.
# by leonidy21 | 2007-04-01 22:28
AND THEN...
以下、その後の事実を列挙しただけだが、最後に記しておく。

4月4日 PUBLIC VIEWING。
ロサンゼルスのLAWN MEMORIAL PARKで一般弔問が行われ、10,000人以上のファンが長蛇の列を成し、彼の冥福を祈った。

翌日、4月5日に葬儀が行われた。
マービンは、白いミリタリースタイルのステージ衣装を纏っていた。これは、彼が最後のツアーで着ていたものだ。葬儀は、あのNBAで歌った国歌斉唱が流れ始まった。続いてCECIL JENKINSが、LORD’s PRAYERを歌った。スティービー・ワンダーとリトル・リチャードもマービンのために歌い、スモーキー・ロビンソンも、彼の為に詩を読んだ。父以外のGAYファミリーと、彼に関わった全ての人はその場にいた。

ベリー・ゴーディは、公の場でのコメント等は一切しない男であったが、この時だけは、マービンの死を悼み、沈黙を破った。

I don't think Gay had any musical equals.
The Closest person I can relate him to is Billie Holiday」

そして、その後

「I even consider Marvin better」

と付け加える程に。

スモーキー・ロビンソンは、インタビューで
「僕の人生の中で、3人のシンガーに心が震えた。一人は、SAM COOKE、JACKIE WILSON, そして、かつてスモーキーのドラマーを務めた事もあるMARVIN GAYE、この3人であり、特にMARVINを深く尊敬する」と。

厳かに葬儀は済み、集まった人々が移動し始め、最後のグループが出発し、最後にフランキーと母はその場に暫らく留まった。母と二人で、マービンの棺の傍らに佇み、暫らくマービンの姿を眺めていた。それでも、まだ現実を思う事ができない。

母の肩を抱きとめながら、フランキーは小声でPRAYERを囁くように歌った。その間、母はマービンの額、頬を撫でていた。

翌日。
マービンは、荼毘に付された。
彼の遺灰はアンナと、3人の子供達の手によって、ヨット上から太平洋の海に散りばめられた。
彼の魂はこうして、水の一滴と還っていった。


マービンがこの世を去ったとはいえ、彼の借金が消えた訳ではなかった。彼の死の時点で、IRSに1億ドル、カリフォルニア州に600,000ドル、その他もろもろ300,000ドル。CBSとMOTOWNは、マービンに関する未発売の音楽について、争い始めた。

マービンは遺言を一切残していなかった。アンナはすばやく、資産に関する名義を息子の名前に変更する手続きを取った。中でもマービンの名で行っていた事業なども、息子の名前に変えようとし、裁判沙汰を起こしている。後々のマービンの音楽の受け継がれていく中、これらの借金も、今は当然ながら完了しているとの事。

父の裁判が始まったが、時期を前後して、彼の脳の下垂体に腫瘍があることが認められ、手術をする事になり、その手術の終了後に、彼の裁判が本格的に始まったのは5月17日のことだった。もちろん、父は無罪を主張。息子の射殺は、正当防衛であった、と。

最終的に裁判では、マービンの遺体から、PCPが検出された。(*PCPは多く凶暴性が生じる症状が出る事がある)11月2日、故意故殺として、5年の執行猶予た言い渡され、父は息子を殺してしまったが、刑務所に行く事はなかった。判決を受けて、父は法廷で、以下のように言ったという。



「If I could bring Marvin back, I would. I was afraid of him.
I thought I was going to hurt. I'm real sorry for everything
that happend. I'm sorry...I loved him.」

1987年、マービンの死から3年後、母もまたこの世を去った。父は、その後カリフォルニア州の老人ホームで暮らした後、1998年 MARVIN GAY SR は、ロングビーチの老人ホームで、84才にて孤独のままこの世を去る。

2001年、FRANKIE GAYE 60才で、死去。

私が、マービンの父の訃報を聞いたのは、車の中のラジオだった。その頃でさえなんとも言えない気持がしたが、こうして彼の人生を振り返ってみて、父が孤独に死んでゆく姿を想像して、彼の不幸な人生を思った。

老人ホームで、父は年老いた後年、自分の息子を殺したことを覚えていなかった、という。これが事実なら、忘れ去る事が、彼にとってのせめてもの救いだったかのかもしれない‥。
と、同時に息子の存在と、彼を愛していた事さえも、忘れてしまった事が、神さまが与えた彼への罰だったのかもしれないな‥なんて、事を考えた。

不幸な家族ではあったけれど、フランキーが最後に記していた事は‥

「父の後年の事を想うよりも、僕とマービンが子供だった時代の頃のことが、不思議と蘇ってくる。僕達は、父を常に理解していた訳ではないけれど、こうして振り返ってみれば、父は父なりの、厳しく豪儀なやり方ではあったけれど、彼の信じる道を、僕達に示してくれた。もちろん、これがマービンとの確執の原因にはなったけれど、きっとマービンも、今の僕と同じように彼を敬う気持になってくれていると思う。彼がいなければ、マービン・ゲイも、僕も存在し得なかったのだから」
# by leonidy21 | 2007-04-01 14:33 | MARVIN GAYE
April Fool's Day

マービンの部屋に足を踏み入れた時、最初に視界に入ってきたのは、マービンの服や、本やガラクタや、紙などが散乱している映像だった。

そして、すぐに床に倒れているマービンを見つけた。ベッドの横に、倒れこんだ状態のまま、動かない。僕は、マービンが死んでいるのか、生きているのか全く分からなかったが、散乱した物に躓きながらも、すぐに駆け寄った。栗色のローブだけを纏ったマービンは、力のない虚ろな瞳で僕を見上げた。

なんということだ‥!こんな事が‥現実に起こっているなんて‥!!
マービンを抱きかかえるようにして、彼に必死に語りかけた。とにかく、意識を失ってほしくなかった。

「Oh‥Marvin…! Are you all right!?」

涙が僕の視界を埋め尽くし、頬を伝う。跪き、マービンを支え天を仰いで呻くしかなかった。

「Oh.. God….!!」

その間にも、血がどんどん傷口から流れてくるのがわかる。真っ赤に染まった絨毯がじわじわと染みを広げていくのが、横目に見えた。僕は、必死になってマービンの傷口に圧力をかけて出血を止めようとした。
「Stay with me !! Stay with me Marvin !! You are going to be fine !! The medics are on the way !」

外から、救急車の音が聞こえてくる。

その時、アイリーンは母と一緒に外にいた。

「Who got shot ?」
救急隊員が尋ねた。

「Marvin Gaye」
アイリーンは答えた。
「The Marvin Gaye!?」もう一人の、黒人の救急隊員がその名を復唱した。
「Yes」

彼は、首を横ににゆっくり振りながら言った。
「Oh…My God….!」

ところが、警察が来るまで、救急隊員は中に入れないと言う。アイリーンは焦って一刻も早くマービンの救命を急かすが、まだ撃った人物が、その凶器を持って建物の中にいる以上、それはできない、と首を振った。

その間、マービンの命は、僕に委ねられていた。神様はなんと言う重い使命を自分に与えたのだろうか‥。今思えば、そんな事を考える余裕もあるが、その時は‥マービンの命を1秒でも長らえる事だけに集中し、救急隊員に向かって叫び続けていた。
あの時の、マービンを僕の腕に抱え、必死で救命をしていた時間の長さは‥まるで永遠のようだった。必死でマービンに話しかけ、出来うる限りの力で止血していた。その時にマービンが
細い声で言った言葉は‥

「I got what I wanted…」

僕は汗と涙でまみれて、動転していたが、その言葉を確かに聞いた。

「Don’t talk like that!!」
僕は必死で否定した。マービンが撃たれた時、彼の状態はスカイハイだった。きっと混乱しているんだ‥頼む、頼むから、そんなことを言わないでくれ‥!

「I could’n do it myself…so I made him do it…」
途切れ途切れにマービンが言う。

「Oh..Marvin…!」
ただ‥泣くしか術がなかった。他に何ができただろうか。僕は、マービンの額に自分の額を合わせて言った。

「It didn’t have to be this way…」
呻いているのか、叫んでいるのか、分からなない。そう言うのがやっとだった。

「It’s good..」
そうマービンは言いい、語尾はかなり弱く消え入りそうになっていく。
「I ran my…race..There’s no more left in me….」

この言葉を最後に、僕達の元に救急隊員がやっと到着した。この所要時間、約20分だったと言う。僕の人生の中で、最も長く永遠にまで感じられた20分だった。

このとき、マービンはまだ息をしていたが、やっと‥という感じは伝わっていた。マービンが救急車に運ばれる間じゅう、母はヒステリックに叫び続けていた。

父は呆然と立ちすくんだまま、無言だった。警察は父を連行していった。

そして、僕はこの家の前に立ちすくんだ。

物凄い人だかりと、なり続ける電話の音、押し寄せるテレビカメラと、レポーター達‥。
何もかもがまるで、どこかの映画を観ているようだった。

まだ、頭の中の整理もできておらず、何をどうしていいのかわからない。ただ、ひとつわかる事、それは、ここにはいられない、という事だった。ひとりになり、何もかも振り捨てて、この痛みを唾で舐めながら、おお泣きしたい‥。けれど、そんなことはできないのは承知だった。今、考えなければならない事は、マービンのこと、マービンのこと‥。


その時の僕の状態を、妻のアイリーンは心配して、すぐにDAVE SIMMONSに連絡を取ると、彼はすぐに取るものも取らず、急いで来てくれた。

その時のことを、このようにDAVE SIMMONSは回想する‥

アイリーンから連絡をもらった時、ちょうど出かけようとしていた所で、マービンのニュースはまだ知らなかった。取るものも取らず、とりあえずグラマシープレイスに急行した。

俺が到着した時、まだ警察が残っていて、フランキーとアイリーンはマービンのピアノが置いていある部屋のソファに座っていた。そこに警察はいたが、なぜか誰も俺に何も言わない。俺はとりあえず、マービンの部屋に向かった。そして、中に入って直感的に俺はこの部屋を掃除し始めた。この部屋が現場である事は十分に承知だった。けれど、俺は‥マービンは、ここにある、多くの物を、きっと誰の眼にも触れられたくないであろう‥と、直感した。それらを箱に詰め、地下に持っていった。

あいつ、明敏な所があるからな‥。恐らく、あれはヤツなりの、自殺方法だったと思う。
これ以上のやり方があるかよ、全く。父親は、一生それを背負って生きていく事になるんだぜ‥。全く、悪賢いやつだよ‥。

その後、暫らくしてから、Little Richardがやって来た。彼は化粧をしておらず、彼自身‥そう、Richard Pennimanだった。

マービン・ゲイは、午後1時01分、カリフォルニア・ホスピタル・メディカルセンターで、息を引き取った。

その知らせを、ロサンゼルス市警のパーク刑事と、マッカーン刑事の二人が、拘置されている父親に伝達した。マービンの死はこの一件が殺人事件となったことを、報告しなければならなかった。彼らが驚いたのは、マービンSRは、その事実を事実として受け止め、それ以上にこれから自分の身がどうなるのか、その事を心配し、動揺を見せていた事だった。

拘置所に留置され、1週間後‥
マービンSRは、ロサンゼルスヘラルドエグザミナーのジャーナリストのインタビューを受け入れ、彼は不満をそのジャーナリストにぶちまけたと言う。
「家族が、誰一人として面会に来ない!」
「この刑務所は、寒くて自分のローブがなければ耐え切れない」
などの、不平不満を並べた後、ジャーナリストはが核心に触れると、
「引き金は引いた」
そう言い「しかし、あれは正当防衛だった」きっぱり告げた。「一発目は、まるで効いていないようだった。まだ向かってくるような声を上げていた。それで、二発目を発砲した」
そのようにジャーナリストにコメントしている。
「世の人に知ってもらいたい事は、私は殺す意志は全くなかった、という事だ」
「あなたは、息子、マービン・ゲイを愛していたのですか?」
というジャーナリストの質問に、父は
「嫌いではなかった、憎んではいなかった、と答えておこう」

マービンの母親の供述によれば、
何らかの理由で二人は、言い争いになったという。言い争いは、罵りあいになり、仕舞いには揉みあいとなった。
マービンは、いつもなら父親の「BOLING POINT」を、察知し、留める術を知っていたはずだった。ところが、あの朝は、留まる所か更に殴り合いになっていった。夫が、マービンに殴られ、飛ばされたのを、母は初めて見た。父親を殴る蹴る、という行為が、マービンSRにとって、どれほどの屈辱であっただろうか‥。怒りの頂点に達したマービンSRは、無言で立ち上がると、自分の部屋に向かった。戻ってくるなり、弾を込めた拳銃をマービンに向けて発砲した。

It’s an old saying among black families、You do not fight your parents. They brought you this world, means they can take you out from this world.

黒人家庭で、古くから言われている言葉がある。決して、親に刃向かってはならない。この世に送り出してくれたのが、親ならば、この世から追い出すのも親である。

マービンSRは、常にマービンとの言い争いの中で、この言葉を吐いていたのを、マービンの母は聞いていた。

そしてまた、凶器となった拳銃は、以前にマービンによって、父親に渡されていたものだった。


Who really won their life long battle? Not Marvin, and certainly not father. Once father fired the shots, his life was all but over, too. In the end, it wasn’t about winning..or..superiority ......at all.
# by leonidy21 | 2007-03-04 11:08 | MARVIN GAYE
April Fool's Day - EVE -
1984年3月

フランキーは、グローリアと別れてからのマービンの様子が、あまりにもBAD SHAPEだったのを心配して、時折母屋の方へ訪れてマービンの無事を確認するのが日課となっていた。

ところが、その日の朝は何処にもマービンの姿を見つけることができなかった。言いようのない一抹の不安が胸に広がっていく。フランキーは、母と一緒に家中を探しまわったが、家にはいない様子だった。しばらくして、一台の車が家の前に止まった。見覚えのない車には、白人の若い女性が運転席にいた。

その隣に、見るからに浮浪者の風貌の男が座っているのが、女性越しに見えた。それはボロボロになったマービンだった。その姿を認めるや否や、
「MARVIN!!」
フランキーが慌てて外に飛び出した。マービンが生きていた事の安堵感と、言いようのない怒りが絡み合い、フランキーは車から降りてくるマービンに向かって大声で叫んだ。
「一体、何処に行っていたんだ!」
隣近所にも丸聞こえの、その叫び声さえ、マービンの耳には届いていない様だった。俯いたまま、身動きさえしない。まるで、鎖に繋がれた犬のように。飼い主を見上げるような瞳で、マービンはフランキーを、おどおどしながら視線を一瞬動かし、また視線を反らした。
「何処に行っていたんだ!」
フランキーは繰り返し聞いたが、マービンは黙ったまま何も言わなかった。焦点の定まらない視点が、虚ろに空を見ていた。女性が見かねて、フランキーに言った。
「高速で、ふらふらしているのを見つけたんです。車はビュンビュン飛び交うし、とても見ていられなくて‥。あのまま、車に跳ねられそうで」
そして、通り過ぎた瞬間、よくよく見てみたら、マービン・ゲイじゃないか?と思ったのだそうだ。
「大丈夫? どこかに行きたいの?」
と、女性が訪ねると、マービンは
「Hollywood Park」と答えた。
Hollywood Park とは、レーストラックのことだ。女性は、マービンをHollywood Parkへ連れて行った。そこは、閉まっていたが、パーキングが開いていたので、そこに車を止めた。マービンは、暫らくそこで、歩き回っていたという。なんでも、そうしたい、という彼の願いだったらしい。
「彼は‥どこか悪いの?大丈夫かしら?」
女性は心配そうにフランキーに訪ねた。フランキーは、多くは語らずに、体調が悪くストレスが溜まっているんだ、と答えておいた。
「いずれにしても、有難う。助かりました」
フランキーは丁寧にお礼を言うと、女性は去っていった。

その場に立ち竦むマービンの腕を掴み、1,2歩進んで思わず、フランキーの足が止まった。視界の端に、二階の窓から父がその様子を眺めているのが見えたのだ。その視線がいかに鋭く、厳しいものであるかは、見返す必要などなかった。 父は一部始終をじっと身動ぎせずに見下ろしていた。

フランキーは、彼の本の中で‥
「マービンの悲劇的な死を理解するには、父がマービンを愛していた、という事だ。父は、父なりのやり方で、マービンに対して、分別やよりより人間になるように努力をしたのだ。けれど、マービンも父も、頑固一徹、頑なにどちらが上位に立つべきか‥を、意識し過ぎてしまっていたのだと思う。父は、神父であり、父親であったこと、そしてマービンは、シンガーとしての才能、ミュージシャンとしての才能を自負していた。ぶつかり方において、二人はあまりにも、似すぎており、その類似性が二人の間の溝を一層深めてしまった、と僕は思う」

というようなことを書いている。父がマービンを愛していた、というのは、理解し難い部分があるけど‥でも、潜在的には愛があったのかもしれない‥という気もしないでもない。今となっては、神様のみぞ知るトコロだけれど。
逆に、マービンは父を憎みつつも、愛していたのだ、というのは確かだと思う。彼に認められたい、父を唸らせる事が出来たら‥彼の自立の出発点はそこから始まった。それが、徐々に長い年月をかけて、違う形としてマービンの心を頑なにしてしまったのは、あの父親からして、仕方のないことかもしれない。

この頃のマービンには、日本人女性のセックスフレンドいたことも、マービンの母親が確認している。関係は、完全にセックスとドラッグで繋がっているだけであったけれど。

4月1日の前の1週間は、完全に人間としての理性は全て失われていた、という。マービンは、既に自分の力で服を着ることさえできなくなっていた。例え、できたとしても、その格好はとても、まともな人間の格好ではなかった。
更に多くのコケインと、ポルノ映画、自分の部屋から殆ど出る事もなく、ジャンキーそのものの生活だった。父は、こんな荒れ果てた状態の息子を、どんな気持で見ていたのだろう‥。

マービンの部屋と、父の部屋は同じ2階にホールの向かい同士だった。息子の様子は否が応でも眼に入って来る。あれだけ、神に対して忠実な父が、いかにマービンに怒りを感じていたか、想像に難くない。

フランキーは、3月31日に、マービンと共通の友人であるデイブ・シモンズと電話で話していた。電話をした理由は、兄弟喧嘩になったのが理由だが、それは単なる兄弟喧嘩ではなかった。マービンは、ありとあらゆる悪循環は、全てフランキーのせいだ、と言って憚らず、当り散らしたのだった。マービンの状態を知るデイブは、もちろんフランキーがどれだけ兄を心配し、心を砕いているか知っているし、マービンの精神状態は正常でない事も十分に承知していた。けれど、やはり目の当たりに、マービンの口から罵られ、フランキーは傷つき、どうにもならない兄の状態に途方に暮れ、涙が止まらなかったという。

この状態を打破するために、フランキーとデイブは最後のリソースを振り絞って、最強のディトックスの準備をマービンの為に準備していた。その手続きは4月1日に行うつもりだった。
リハビリ専用の病院に首に縄をつけてでも連れて行く、と二人はその夜語り合ったと言う。

そして、運命の日、1984年4月1日がやって来る。エイプリルフールディ。マービンは、45才を迎えようとしていた。



FINAL HOUR - フランキーの視点から


マービンの人生の最後の1時間は、多くの記事や本に書かれたり、話されたりと‥一般世間に広まっているが、その多くの記事の中で、正確に書かれているものは、ほんの一握りである。
なぜなら、僕はその場にいたからだ。この眼で、マービンの銃に撃たれた姿を確認し、その場にいた父も見たからだ。僕はそこにいた。

その日は、マービンの45才の誕生日の前日の朝だった。
「銃声が聞こえた!」というアイリーン(フランキーの妻)の言葉に、僕は初めは冗談と思い、取り合わなかった。シェーンをテレビでやっていて、それをぼんやり、カウチから眺めていた、平凡な朝だった。 その上、エイプリルフールだったことも、マジメに聞く耳を持っていなかった。
けれど。そのすぐ後に、母の劈けるような叫び声が聞こえてきて、空気が一瞬のうちに凍りついた。恐怖が現実のものとなって、身に降りかかってきたあの瞬間を、あの1日の始まりを、今も僕は忘れる事ができない。

その叫び声を聞いた時、母が撃たれたと思い込んでいたが、大急ぎで母屋に入って母の姿を見た時、掻き毟るような安否の矛先はマービンになった。アイリーンは動転している母を連れ、家の外に出た。母は動転していて、アイリーンの腕に倒れこんで、うわ言のように言ったという。
「Father shot Marvin….!」

母屋の中は、薄暗くあまりよく見えなかったうえ、シンとして音ひとつ聞こえない‥。ブラインドが全て閉まっていた。マービンはいつもこの薄暗い状態の中にいたのだ。その静けさは、異常を感じるのに十分だった‥。自分の心臓の音が耳のそばで、こだまする音だけ、それ以外何も聞こえなかった。僕は次第にパニックになってきた。もし、マービンが撃たれたとしたら、まだ無事なら、何か音があってもいいはずだ‥。

この異常な感情‥ベトナム時代に感じた、あのいいようのない焦燥感と、恐怖感だった。身体の五感の全てが、異常を感知していた。
「Call 911!!」
その瞬間の認識は、おそらく1秒もかからなかったと思う。僕は外にいるアイリーンに聞こえるよう、僕は二階に上がる階段を踏みしめながら出来る限りの大声で叫んだ。
「Marvin!! Where are you !!! 」
僕の虚しい声が家に響きわたるだけだ。敢えて、その時灯りをつけようという動作を無意識で避けていたように思う。きっと、その灯りで見えてくる視界が怖かった。見たくなかった。ベトナムのフラッシュバックが脳裏に蘇った。目の前に広がっている視界は、確実にあの時と同じなのだ、という確信があった。
「Father!! Are you up there!? 」
父からの返事はなかった。彼はまだ銃を握っているのだろうか?それとも‥不安を打ち消した。母の言葉で、既にマービンが撃たれたという事実から、今はマービンを見つける事の方が優先だった。階段を踏みしめる一歩一歩と共に神に祈った。

Oh, Dear God…Please don’t let it be bad, Please let Marvin be Okay, Oh Please, Dear God..
# by leonidy21 | 2007-01-28 23:38 | MARVIN GAYE
PARANOIA
とうとうマービンブログも、終盤となった。できるだけ、詳細を心を込めて、マービンへのレクイエムのつもりで書いて行きたいと思う。私は、結局は当事者に取材をしたわけでも、話を聞いたワケでもなくて、その時の状況が手に取るようにわかるわけでもないが、出来る限りのリソースと、イマジネーションを駆使して、彼の最後の一瞬まで書き進めて行きたい。




1983年6月‥
セクシャルヒーリングTOURの中盤以降、オクラハマシティ、カンザスシティ、オマハ界隈を通過する頃になると、殺人脅迫状や、脅迫電話が何十通も送られて来るようになった。

80年代に入り、時代は安価なクラックコカインが巷を賑わせ、アメリカのドラッグの蔓延化は深刻な問題になり始めていた。逆にマービンのようなセレブリティクラスの人間は、更に純度が上がり、今やFREEBASINGをするまで至っていた。
(*FREEBASING=ピュアなコカインの塊に火をつけ煙を吸う‥鼻から吸い込むよりも、即効性や、効き目は強烈。脳に届くまで約5秒~10秒>FREEBASING状態になると、持続状態が短い為、常にその状態を求めなくてはならなくなり、重症な依存状態となる。リチャード・プライヤーなどもFRERBASINGに深くはまっていた)

FREEBASINGは、マービンを極度のパラノイア状態に陥らせた。常に恐怖に慄き、ツアーのボディガードには、SUBMACHINEGUN=SMGを持たせてガードにあたる、という出で立ちだった。それこそ、さながら、映画のワンシーンのようなボディガードがマービンの回りを歩いているという図だ。

ホテルに入る前、マービンらはリモで乗り付けるが、すぐに降りずに何度も何度もホテルのまわりを旋回する。タイミングを計らい、安全に安全を確認してからでないと、マービンはけして車を降りようとはしなかった。そしてホテルにやっと降り立ち、建物の中に入った後でも、つけて来る人間がいないように、例えば5階に泊まるとしたならば、7階を押しそこで降りる振りをして、誰もいないことを確認してから、5階に戻る、というような動作をしていた。眼は落ち窪み、体重も落ち、いつ倒れてもおかしくない状態だった、とツアーのメンバー達は、当時のマービンを振り返る。


「マービン‥もう、これ以上、こんな状態でツアーを続けるのは無理だ。残りのツアーは、全部キャンセルして、休んだ方がいい‥。ディトックスに入って、CLEANになれ!」
マービンに呼び寄せられて、ツアーに参加していた弟、フランキーは、もうこれ以上耐え切れず兄に懇願した。
「‥そうは言うが、そんなことはできないさ‥皆、オレがもうダメだと思っているんだろぅ?」
力弱く微笑しながらマービンは言う。瞳は虚ろに淀んで、充血している。焦点が定まらず、常に何かに怯えているような状態の兄を、フランキーは見ている事ができなかった。確かに、今までも、この言葉を聞くたびに奮い立って来たマービンだった。けれど、今度こそは、今度こそは、舞台で息耐えるのではないか、と気が気ではなかった。マービンの数少ない深い親友の一人、DAVE SIMMONSも、マービンにディトックスを勧めた。マービンの、この頃の状態をフランキーもDAVEも「スカイ・ハイ」と形容している。これ以上人間の体がドラッグを受け入れることが可能なのか‥?と、フランキーは当時のマービンの状態を語っている。


(見ての通り‥この写真は、セクシャルヒーリングツアーのものではありません‥念のため‥汗)

「もう‥今のクスリの量は尋常じゃない。これ以上‥続けたら、もうあの世しかないぞ」
フランキーは、駄目押しで最後の切り札を使う。
「ママが、帰って来い、もうこれ以上続けるなって言っていたんだぞ」
マービンにとって、母親の言葉は絶対だ。フランキーもそれを知ってるからこそ、その言葉を使った。もちろん、母はマービンの安否を気遣い何度もフランキーに伝えていた。
「‥Wow‥わかってるさ‥わかってるんだよ‥ママがそう言ってるってことも‥」
その時はそう答えるマービン。けれど、彼のまわりには、フランキーやデイブ・シモンズら、マービンを気遣う人間の以外、いわゆるドラッグーディーラー達らが群がっていた。彼らはマービンと深く係わり合いを持つようになっており、多くの助言(彼らにとって都合のよい助言)をマービンに告げ、最終的にはマービンを確信させ納得させてしまうのだ。それほどFREEBASINGの力はマービンをコントロールしていた。本当に彼を気遣い、愛する人たちの想いは、マービンに届くどころか、シャットアウトされてしまう。
「ママが‥」という言葉さえ、マービンのドラッグの依存症には効き目がなくなっていた。
彼に今何を言っても無理なのだ、と‥フランキーは半ば諦め気分だった。


(これは、セクシャルヒーリングツアーのフィナーレでのマービン)

それでも、何とかマービンはツアーを敢行した。ボロボロな状態ではあったけれど、本当に誰もがマービンのタフさに眼を見張り、驚かずにはいられない。全くボロボロのマービンの何処から、その力が出てくるのかわからない。けれど、前にも記したように「もうやめろ、だめだ」と言われる事が、マービンを立ちあがらせ、奮い立たせている事だけは、事実だ。それが彼をステージへと駆り立てたのだ。

この頃のマービンのトレードマークは、AVIATOR SHADEと呼ばれる、マイケル・ジャクソンが好んで80年代に利用していた、あのサングラス。あれを欠かす事ができなかった。なぜなら、そのサングラスの下には、ハイになった眼、赤く充血し虚ろな瞳が隠されていたから‥。

ツアーが終了する頃のマービンの状態は、もうここで繰り返す必要もないが「今までの中で見た事がない程のBAD SHAPE」という形容が記されている。これは、母も、弟も、親友も‥同じ言葉で表現している。それ程の状態であった。

すぐに病院に隔離し、デトックスをすべきだった、と母も家族もそう回顧しているが、マービンは、物凄い頑固なところがあって‥こういう部分は父親譲りなのかもしれないが、自分が項決めた事に関しては、絶対に曲げない所があり、母は「Oh, that Boy was STURBBORN 」と息子をを形容している。
なんとか、ツアーを終わり、追ってから逃げ込むように、実家へ戻ってくるしか選択がなかった。極度なパラノイア症状のマービンは、誰を信用する事もできない。家に引きこもるようになっていた。

ちょうどその頃、その家には‥。
DCから家の修復を終えた父が戻ってきていた。グラマシープレイスの家に。マービンの最悪な状態な上に、父の帰宅。タイミングは、かつてない程の悪循環だった。どう考えても、この父親が、こんな状態のマービンをまともに扱う訳がない。運命というのは、こういう風に準備されるものなのか、と‥何とも言葉がない。

「ダーリン‥」
マービンは崩れ落ちるような格好で、ベッドの上に横たわっている。サイドテーブルの白い受話器を耳にやっと押し当てて、掠れた声で彼女の名を呼んだ。
「ユージニー‥ベイビィ」
受話器の向こうは、オランダにいるユージニー。久しぶりのマービンの声に、ユージニーも懐かしい気持にさせられる‥。あの苦しい日々が、夢のような気分で脳裏に蘇る。
「ハロー、マービン‥!‥どうしたの?一体‥」
彼の声の調子で、ユージニーはすぐに悟った。マービンは、かなりのハイな状態であると。
「調子はどうだぃ?ダーリン。アメリカに来る気はないか?すぐにでもチケットを送ってやるから」
そんなことが無理なのは百も承知だ。彼の言ってる言葉に信憑性は全くない。ハイな彼は、今頭に浮かんだ事を、ただ欲望のままに口にしているだけ。
「知ってるくせに‥私はもうボロボロに壊れてしまったわ‥」
ユージニーは、苦しい胸を押さえながら、搾り出すように言う。
「おれだって、ボロボロさ。二人で、ボロボロ同士、一緒に祝おうじゃないか!」
「何を言ってるのよ‥マービン」
哀しい響きにしか聞こえない。ボロボロ同士の二人‥その言葉があまりにもよく似合う。
「そうだ、聞いておきたい事がある」
思い出したように、マービンは言う。
「オレと別れてから、何人の男と寝たんだ?え?」
「マービン‥」
「何人の男と寝たのか、と聞いてるんだ」
支離滅裂な会話。まるで、昨日は何した?というような聞き方。
「そんなこと、どうでもいいじゃないの‥。どうせ私が誰と寝たからって‥何の影響もないでしょう‥?マービン」
「もう一度、おまえとFUCKしたい。すぐにアメリカに来いよ」
ユージニーは電話を切った。マービンは本当にボロボロだ。身も精神も、何もかも‥。受話器を置いて、ユージニーは唇を噛んだ。もう、二度と会う事はないだろう、そう確信した。
確信通り、ユージニーはその1ヵ月後に、マービンの死を知る事になる‥。

マービンは、アンナへも連絡を取っていた。アンナへの愛は、他の女性とは違う形のものへと変化していた。男女間の燃えるような愛ではない。違う段階へ進化した愛の形。人生を形成するに当たって、マービンにもっとも影響力のあった女性。マービン・ゲイというシンガーを生み出した女性でもある。
ジャ二スでさえも「アンナがいなかったら、マービン・ゲイという男はあり得ないだろう」と認めている。
「私は、その事だけは、アンナには勝てない、そう思ったわ。アンナはマービンにとって、妻であり、母であり、恋人であり、パートナーであり、友人であり、マネージャーだった。全ての存在だったわ。私は、この事には、帽子を脱いで敬礼したい気持よ」
アンナとの離婚劇は苦い経験だったけれど、マービンにとって彼女の存在は特別だった。マービンが一番精神的に安定していたのは、アンナと一緒にいた頃だった。その頃にちょっとのドラッグをする事があっても、依存度は今とは全く比べ物にならない。

家に引きこもりながらも、マービンには何人かのガールフレンドは常に存在していた。ガールフレンド、というよりも、セックスフレンドと言った方がいいかもしれない。そのうちの一人、デボラという24歳の若い娘がいた。彼女はマービンの子供を妊娠するが、暫らくして流産したりなど、いろいろイザコザもあったが、数週間‥数ヶ月、長続きする事はなかった。

そんな女性関係の中、たった一人だけ、マービンが心を開いていた女性がいた。名前はグローリア。彼女とマービンは77年頃からの知人で、元々はマービンが、滋養強壮の為にビタミン剤を飲む事にした時にアドバイスをもらった、ビタミンのスペシャリストだった。彼女は白人で、とても美しい女性だった。彼女は、とても誠実な女性で、マービンはとても彼女を尊敬していたが、この頃になると、グローリアに心を寄せるようになっていた。母の手術で、再び母のために、ビタミンを調合してもらおうと、グローリアに連絡を取った事が、再会のきっかけだった。暫らくは友達として、時々会っていたが、この頃になると、グローリアもまた、マービンの壊れ果てた姿に心を痛め、なんとか彼を癒そうと、心を砕いて世話をした。

ある日のこと。
グローリアがマービンの家を訪ねてきていた時の事だった。
「新しい曲を作っているんだ。聴いてくれないか?」
マービンは調子がいいのか、そう言ってピアノの前に座って、鍵盤に指を滑らせた。
「おいで、ここに座って」
マービンは、グローリアを隣に座らせると、静かに曲を弾き始めた。
グローリアは彼の奏でる美しい旋律を暫らくの間うっとりと聴いていると、窓ガラスを叩く音が聞こえ、二人はそちらを振り返った。
マービンの姪が、窓を叩いていた。外に誰かが来ている事を伝えに来たようだった。マービンは、怯えたように立ち上がると、中に入ってきた姪と一緒に2階に立ち去った。グローリアはその場に取り残されてしまった。暫らくして、その場に現れたのはまるでボディガードのような大柄な男が3人。いつの間にか、中に入ってきてリビングのソファの前に立っていた。
「マービンは何処だ?」
「今、上にいるわ。彼は、ちょっと忙しいみたいよ」
グローリアは答えた。ギロリとグローリアを見下ろして、男の一人が言った。
「マービンは、Marla Gibb’s Memory Lane Jazz Supper Club でのショウで、歌う事になっているはずなんだ。クラブは満員なんだ!一体どういうつもりなんだ。すぐに準備して一緒に来て貰おう」
既に苛立っている男3人を、グローリアは必死に宥め、マービンを説得してみる事にした。

「私も一緒に行くから、取り合えず行きましょう」
グローリアは、そう言う。なぜなら、どうみてもあの3人の男は、もしマービンがこの場に留まったら、一体何をしでかすかわからない、そんな雰囲気だった。
「だめだ、だめだ。あのクラブは、黒人だらけで、白人の君がうろうろできる場所じゃない」
「そんなこと、関係ないわ!何を言っているの!私は、今までいろんな国で這いずり回って生きてきたの。人と人なの。白人だの黒人だの言ってる場合じゃないわ」
「あの3人は、マフィアなんだ。グローリア、君をそんな危険に曝す事はできないんだよ」
そう言い、マービンは下に降り、3人の男達と一緒に出かけて言った。

その後、再びグローリアは、何度かマービンの家に訪れた。その場で見たものは‥常に家にやってくる、ドラッグディーラ達の姿だった。
「彼が、そのドラッグでお金を出す事を、そこに来る誰もが知っていたわ。だから、どんどん持ってくるのよ‥」
マービンはここにいる以上、ドラッグから身を洗う事はまず無理だろう、そうグローリアは思った。彼女はドラッグには興味がなかった。マービンをなんとかして、ドラッグから遠ざけようと努力をしたが、こればかりは彼自身が取り組まなければならない事であり、他人ではどうする事もできな事を、十分に承知していた。彼女には為す術もなかった。
それでも、マービンにとって、グローリアの存在は、ささやかな安らぎだった。
「ママ‥グローリアに、プロポーズしようと思うんだけど、どう思う?」
マービンは母に相談してみた。母は冗談でこう答えた。
「Well, You’ve married to two black women. Why not try a white woman?」
その言葉に背中を押され、マービンはグローリアにプロポーズをした。けれど‥答えは「NO」だった。

グローリアは、マービンを愛しく思っていたし、心を砕いて彼を助けてあげたいと思っていはいたけれど、結婚はできない。愛していれば結婚して、幸せになれる‥そんな夢を見れるのは、少女の頃の話だ。彼が結婚できる状態ではないことは百も承知だった。

結婚を断ったけれど、グローリアはマービンとの関係は壊れた、という訳ではなく、その後も暫らく続いていた。なんとかして、グローリアはマービンを助けたい、と彼女なりにそれを模索していた。彼女のリサーチで、新しいデトックス法を取り入れて、良い成果をあげている専門の施設があることを調べ、そこへマービンを連れて行くよう、フランキーや、マービンの妹と計画をしていた。グローリアは仕事でサンフランシスコにいたが、その施設への入院許可が出たことを連絡してきたのだった。

「マービン!ここの成果は本当に素晴らしいのよ!お願いだから、ここへ来てクリーンになりましょう!このまま、ずっとこのままでは絶対に変われないわ!エキストリームな環境の変化がなければ、絶対に治す事ができないわ。あなただって、このままでいたくないって、何度も言っていたでしょう?」
マービンは渋々ではあったが、行く事を承知した。グローリアは急いでフランキーと連絡を取り合い、施設の予約、マービンのフライトのチケットや、空港まで、到着してからの車の手配やら、あれこれをたった2日で準備をした。マービンがいつ、気が変わらないとも限らなかった。すぐに手配して、行かせなければ!
グローリアは出発間際に、マービンに電話を入れた。
「マービン!準備はいい?支度は出来た?」
「‥君は‥一緒に来てくれないんだろう‥?」
その声には、微妙な心の揺れが聞き取れた。
「私は今、サンフランシスコにいるのよ。仕事で、席を空ける訳にはいかないのよ。お願い、わかるでしょう!?」
マービンは、怯えたようにポツリと言った。
「‥怖いんだよ‥」
グローリアは言葉を失いそうになった。気を取り直して聞き返した。
「何が、怖いの?」
「監禁されるんだろう?」
「そんなことないのよ!監禁じゃないのよ‥マービン。とってもいいところなのよ!コテージで、ゆっくりと身体を治すの。そこには、専門ケアのスペシャリストや、看護してくれる素晴らしいチームもいるの。何もかも面倒見てくれるの。ただ、あなたはそこで、身体を治す事だけを考えればいいのよ。何も怖いことはないのよ」
グローリアは必死にマービンを説得したが、マービンは言葉を濁しながら、ただ恐れている事を主張するだけで、まるでダダをこねる子供のようだった。
グローリアの怒りは頂点に達した。
「マービン!もう、これ以上何を言っても無駄なのね!?もう、ダメなのね!?」
「お願いだから、一緒に来てくれ‥君と一緒だったら‥」
「だから、いけないって言ったでしょう!私は今サンフランシスコにいるのよ‥お願い、マービン無理を言わないで」
「怖いんだよ、グローリア‥」
「‥‥‥」
グローリアは、完全に返す言葉を無くしてしまった。これ以上、何を言っても無駄だ。彼自身が、そう願わない限り、他人がどうする事もできない事を、グローリアは見抜いていた。
一息置いて、ため息混じりにその言葉を告げた。
「さようなら、マービン」
グローリアは受話器を置いた。そのGOOD BYE MARVINという言葉が、グローリアがマービンと話した最後の言葉となった。

その後、フランキーや、マービンの妹が、グローリアと連絡を取ったけれど、グローリアの心は決まっていた。

「I could not do anymore. He was a wonderful guy. He had sense of humanity and kindness. I loved him as a person, and as man, but….」

それ以上、言葉を返す事ができなかった。
# by leonidy21 | 2006-12-09 13:21 | MARVIN GAYE
1983 ~復活3 ~
1983年という年は、マービンにとっては忘れ得ぬ程、特別な年となった。わざわざ今ココで説明の必要などないとは思うが、「SEXAL HEALING」が大ヒット、MIDNIGH LOVEのアルバムも売れ続け、R&Bチャートでは8週間に渡り1位に輝き、名実共に復活し、シンガーとしての頂点に立ったと言っていい。

ちょうどその頃、マービンの母が病気で手術が終わったばかりだった。ロサンゼルスに到着すると同時に病院にいる母の元へ大急ぎで駆けつけた。
「MAMA‥ここにいるよ、帰ってきたよ‥」
マービンは、母の頬にキスをした。
「MAMAのために帰ってきた」
まだ、麻酔から醒めたばかりの母はマービンの姿を確認する。久しぶりに見る息子が元気な様子で、母は安堵したように小さく頷いた。マービンはすぐに母の手を取り
「俺に何かできることがあれば、なんでも、なんだって言ってくれ」
母は、暫らく沈黙していたが、か細い声で「ベアトリスを呼んでおくれ‥」
ベアトリスは、DCに住んでいた頃の、母にとっては姉のように慕ったベストフレンドであり、暫らくは一緒に住んだこともあった。気の置ける姉のようなベアトリスが来てくれれば、マービンも母を安心して預けられる、と大急ぎでベアトリスをLAに呼ぶ寄せる手配をした。
ベアトリスはすぐさま駆けつけてくれ、病み上がりの母の世話を一生懸命してくれ、マービンも一安心で、仕事に打ち込む事ができた。

と、同時にマービンの父は、ちょうどその頃、DCに戻っていた。マービンとはすれ違いであったことが、ある意味この年を更にマービンにとっては、災難を逃れた‥と言ってもいい。
父はDCに残してきた家が古くなっており、それを修理した上で売りに出す腹積もりであった。
母の病気の時に父がいない、というのはある意味、おかしな‥と思うかもしれないが、これがGAYファミリーの法則であった。父がいないほうが、ファミリーらの平和が保たれるのだから、仕方がない。20年来のマービンと父の確執は、もう今更「復縁」「仲直り」とかそういう次元の問題ではなかった。

マービンは、このアメリカ滞在は短期にする心積もりでいた。既にアメリカに永住するという気はなかった。ヨーロッパ、恐らくベルギーか、フランス‥あたりに移住をしたい、と希望していた。母の状態が落ち着つくまでは、母の側にいたい、ただそれだけだった。
「どこでもいいよ、アメリカ以外なら。だけど、ベルギーやフランスがいいな‥」
とDAVID RITZのインタビューに答えている。

この頃のマービンは、父が近くにいないこともあってか、割と落ち着いていた。インタビュー嫌いな彼にしては珍しく、多くの雑誌のインタビューも受け、MIDNIGHT LOVEのプロモーションの全米ツアーも計画した。

1983年2月にはNBAのALL STAR GAMEでの国歌斉唱という大役も果たした。ダークスーツを身に纏い、AVATORサングラスをかけて、アリーナのセンターに現れた。SEXAUL HEALINGにインスパイされたであろうと思われる、アメリカ国歌という晴れ晴れしい曲調を、当時としては意外なドラムのテンポに編曲した。徐々に会場は飲みこまれ、クライマックスに昇り詰めていく様‥マービン自身、自称バスケットボール選手でもあったから、興奮の瞬間だったに違いない。 この時、参加したバスケットボール選手の誰もが「忘れ難い瞬間だった」と、記憶に留めている。あぁ‥この場にいたかったわ‥アタシも‥。

それから、10日後。念願悲願のGRAMMYの舞台も飾る。GRAMMYについては、既に前に書いた通りだけれども‥。BEST R&B SINGERに選ばれる。LOU RAWLSに破れ、STEVIEに破れ‥。今回は、やっと栄光の座を手にした。復活を完全のものにした。彼の名前が呼ばれ、その時の微笑みといったら‥。この部分は既に前に書いた通り。

その後、3月25日MOTOWN25にも招かれ、ここではMOTOWN時代のヒットWHAT’S GOING ONを歌った。ベリー・ゴーディとの再会も果たした。アメリカのテレビでは7週間後にオンエアーされ、今も映像に残っている。この時の目玉は、やはり当時爆発的ヒットを飛ばしていたマイケル・ジャクソンのBILLY JEANが会場を沸きに沸かせたり、Diana Ross, Mary Wilson, and Cindy BirdsongのREUNITEDも見ものでもあったが、それよりもダイアナ・ロスの顰蹙の振る舞いが、かなり編集されて放映されていたらしいけれども‥。

今これだけでも83年がどれほどマービンにとって、華やか年だったかと思うと‥本当に翌年の悲劇なんて、想像も付かないけれど、彼自身もこの83年は、少なくともこの時点では、まさかそんな運命になるとは全く予期していなかったと思う‥。これが、運命の皮肉な所かもしれない。それは徐々に足音を響かせ始めるのだった。

マービンにとっては‥生涯最後のツアーが始まる。もちろん、経済的問題は常にマービンに纏わり付いていた。ツアーはマービンにとってレコード以外で、お金を稼ぐ大きな手段だった。久々にアメリカに戻ってきたからと言って、IRSへの負債、数々の裁判沙汰の負債、離婚訴訟‥が消えた訳ではない。ないけれども、83年の復活で、なんとかそれも、明るい兆しが見えるかもしれない‥という状態に漕ぎ着けたのだ。が、ツアーが始まり、舞台に上がるプレッシャーと共に、コカインの量が増え始める。再度記しておくが、マービンは舞台でのパフォーマンスが苦手だ。ツアーの始まりは、4月18日サンディエゴだった。この時点でのマービンは最高の状態だった、とフランキーは語っている。
「MARVIIN SANG LIKE MILLION DOLLARS!」
もちろん、オープニング前のナーバスはあったけれども、それはまだ気づく程ではなかった。

GORDON BANKS、Wah Wah Watson ギター、Fernando Harkenss テナー、William Bryant キーボード、Escovedos パーカッション、当時としては精鋭バンドメンバーを揃え、このツアーを絶対に最後までやり遂げ、成功させねばならないと、完璧主義のマービンは、彼なりに必死だった。けれど、日を追うごとに、マービンのドラッグへの依存度は徐々に上昇していく。
「倒れそうになるマービンを立ち上げるには‥もうヤメロ、ここで諦めろ、と言ってしまうのが、一番効くのさ。そう言われると、マービンは不死鳥のように立ち上がるのさ」と、バンドメンバーらは回想する。

こんなエピソードが残っている。5月17~22日は、NEW YORKのラジオシティでショウだった。4日の間に昼、夜あわせて8回のショウを慣行した。全チケットが売れ切れていた。
この時の楽屋には、一室にはPREACHERが待ち、一室にはドラッグディーラが待ち構えていたという。GOOD&EVILそのもの、マービンの状態をよく現している。

ラジオシティのオープニングには、プレッシャーに耐え切れない、と‥スカイハイの状態1時間半遅れて現れ、溢れるほどのコカインを吸い込んで舞台に上がる。でなければ、まともにパフォーム出来なくなっていた。

この頃を境に、ダウンヒルツアーと化していくのだった。
# by leonidy21 | 2006-11-25 13:00 | MARVIN GAYE
SEXUAL HEALING ~復活 その2~



新しいアルバムへの意欲。それが、マービンには必要だった。まるで薄汚れた犬のような状態だったマービン。ロンドンでボロボロになっていた彼を拾い上げ、ベルギーへと彼を連れ、介護し、励まし、立ち直らせようと、フレディは必死だった。彼自身、マービンを信じていた。きっと、マービン・ゲイは立ち直り、また昔のような栄光を手に掴むに違いない、と。これだけの愛と、奉仕をしたのだから、見返りを期待してしまうのが生身の人間というものだ。けれど、この頃のフレディは、普通ならだれもが見せるであろう、その駆け引きを全く見せなかった、これがマービンの心の扉を開くきっかけになった。もう一度、やり直そう、まだオレには歌えるんだ、という希望がマービンにも芽生え始めていた。

新しいアルバム。その制作意欲を新しいレコード会社、CBSに提示してみた。CBSは大喜びでマービンにその準備に取り掛かるように言う。早速「じゃ、いついつまでには、できるよな、マービン」とデッドラインを提示するCBS。

WOW‥ちょっと待った。オレはデッドラインってのが苦手なんだ。それを設けられると、ダメなんだよ‥と、マービンは言うが、レコード会社は、そんなことはいちいち気にしてはいられない。いつ発売できて、どれだけ売り上げるか、それが重要課題である。当時のマイケルジャクソンのスリラーの発売に重なっても困る。いろいろなファクターもあって、デッドラインを決めねばならなかった。マービンはいやな予感もしたが、それでも、やる気に漲っていた彼は、このアルバム作成の為に、その昔のセンパイ兄貴である、フークアを呼び寄せ、アルバム作成に参加するようレコード会社に頼んだ。

実は既に、アルバム作成は、少しずつ始めてはいた。まだ、具体的にどういう風に‥とまでは決めていなかったが、マービン自身半分くらいの曲作りなどはとりかかってはいた。残りの半分をどうするか迷っていたのだ。そこへフークア、オールドバディが来てくれた事で、少しずつアルバムの方向性に磨きがかけられた。おそらくフークアが来なければ、延期に延期を重ね、きっとアルバムリリースにまで漕ぎ着ける事は出来なかったのではないか、と当時のCBSの
担当者は語っている。

アルバム制作の進行と共に、フレディは居場所をなくしたような錯覚に囚われていく。既に古い友人且つセンパイでもあるフークアとの関係に、まるで嫉妬をするかのようなフレディの態度に、マービンはフレディとの関係を「嫉妬する妻」という表現を使っていたと言う。
確かに、フレディにしてみれば、今までマービンを必死に介護し、励まし、金銭的にも、精神的にも、力になって来たのに‥という気持がある。ただ、フレディはレコーディングに関しては、素人であり助言を求める事はできない。なれば、マービンは別のソースの協力が必要だった。レコーディングは一人で出来るものではない。多くの協力者、チームワークがひとつにななってこそ、素晴らしいアルバムができる事を知っている。フレディにそこを理解して欲しいと願うが、歯車は少しずつではあるが、ずれ始めていた。

金銭的な問題が理由で、フレディとマービンの関係は一気に悪化する。これは、話せば長くなるが‥要は、スイス銀行のサインを、マービンではなくフレディが管理していた事が理由だ。
結局、マービンの稼ぎを、マービン自身がタッチする事ができない、という状態に、マービンが知らぬ間にセットアップされていた、という事だった。フークアは「おぃ、そいつぁ、おまえ、騙されてるぜ」回りからの言葉も、耳に入ってくる。フレディはそんなヤツじゃない、と思いたいが、実際そうなっていることは事実だった。フレディにしてみれば、マービンの稼ぎをKEEPする事だけが、彼を繋ぎとめておく唯一の手段である、と思っていた。その上、フークアを信用していない訳ではなかったが、フークアの金遣いの荒さは、フレディを不安にさせていた。こうなると、お互い様状態だった。

同時に、ジャンはマービンを追い回していた。養育費を払え、あれを払え、これを払え‥と、まるで、取り付かれたように、執拗に追い回した。と、同時にユージニーは、マービンの女性関係にホトホト疲れ果て、自分もまた別の男との関係にも疲れ、ODで死にそうになり緊急病院に運ばれ、一命を取りとめたとき、決意した。あの男と別れなければ、自分がダメになる‥と。ユージニーは、マービンの元を去った。

こんな背景の中、新しいアルバム制作が進んだ。マービン自身フレディの元で、回復し新しくやり直す‥という心意気であったはずが、結局‥こうして、また渦の中に溺れそうになっていく自分をどうすることもできない。そしてまた、新しいアルバムの「はっきりとした形」がまだ見えて来ていない。音楽は宙にある。それも、手に届く所にあるのだが、それを音にし、レコードに収める事ができずにいた、と言う。WHAT‘S GOIN ONの二の舞では、ダメだ。かと言って、セクシー路線は既に、TPやBERRY WHITE‥AL GREENなどなど‥マービンの不在の間に地位を確立しつつある。これだ、という決定的な形をうまくまとめられず、マービンのレコーディングは行き詰っていた。バンドメンバーの一人ODELL BROWNの作った曲(後のセクシャルヒーリング)をマービンはとても気に入っていて、この曲のタイトルを考えあぐねていた。詞もまだ付いておらず、マービンは鼻歌でレコーディングの曲作りに励んでいた。

そんな時、一人の男が、マービンを訪ねてきた。名前は、DAVID RITZという、ローリングストーン誌のライターだった。もちろん大切なレコーディング中であり、マービンはインタビューを断ったが、しつこく男はマービンのいるOSTENDに滞在し、機会を狙っていた。また、DAVIDは現れ、マービンにインタビューを求めた。こういうのが大嫌いなマービンではあったが、珍しくマービンは彼のインタビューに応じる事にしたという。ビジネスライクのインタビューの時間が続いた。DAVIDとマービンの会話も、少し解れて来て、マービンはODELLのデモテープを、RITZに聴かせてみることにした。
「Not only are you sexy, your music is healing」 

この言葉が、マービンの心に残ったことは確かだ。DAVIDが去った後、
「That’s pretty nice. Sexual Healing」マービンは言った。DAVIDは、後にマービンがこのアルバムに彼の名をクレジットしなかったことで、15ミリオンの訴訟を起こしている。
「That man gotta be kidding ! Just tell him to sue me. It’ll up the sale of his book」

確かに、DAVIDの指摘は的確だったと思う。マービンには癒しの手が必要だった。それも母親以外に、無償の愛を捧げてくれる女性。彼のまわりには、その手がなかった。どんなに足掻いても、探し続けても、裏切られ苦しめられるだけだった。全てが利害関係で結ばれている世界に生きるマービン。溺れ果てて、ドラッグに深くはまっていくマービン。その証拠に、この頃のマービンは、女性に対してサディスティクな性の欲望を露にしていたと言う。女性を意図的に傷つけ苦しめることでしか、彼の欲望が満たされることはない‥。

疲れ果て、傷つき果てた彼を瞼の裏に浮かべると、私は物凄い哀しい気持になり、涙を禁じ得ない。

これが、実情なんだろうね、この世界は。儲けてナンボ。「アルバムCREDIT=お金」の方程式。このDAVID RITZは、私も読んだ「DIVIDED SOUL」という本の執筆者であり、当初マービンが急死する前は、マービンのバイオグラフィーとして売り出す予定ではなかったが、マービンの死後、急遽マービン1本のバイオ本に変更。上記の記述は、フランキーの本からである。

DAVIDの本では”I suggested that marvin needed sexual healing.” 
という事で、収められている。いずれにしても、このアルバムがヒットした事で、マービンの運命は大きく変わる事になる。と同時に、DAVIDもまた、マービンの一生に取り付かれ‥本を書くに至るわけで、それを読んだ私もまた、取り付かれている‥ワケなんだけども。

1982年10月シングル「SEXAUL HEALING」、続いて11月アルバム「MIDNIGHT LOVE」CBSよりリリースされる。18ヶ月ぶりのシングルリリース。アメリカに戻らないワケにはいかない。プロモーションも必要であり、且つベルギーの滞在もギリギリのラインまで来ていた。こうして、マービンは再びアメリカの地、LAXに降り立ったのが、この1982年の10月のことだった。
# by leonidy21 | 2006-11-15 06:49 | MARVIN GAYE
RESURRECTION~復活その1~
一人の男がいた。ベルギー人で、ボクシングプロモーターのFreddy Cousartといった。20年来のマービンのファンでもあった。ロンドンに滞在中に、マービンの存在を知ったフレディは、共通の知人を通してマービンと出会う。ボクシングファンで、自称ボクサーでもあるマービンは、フレディとすぐに打ち解け何かと話をするようになる。シンガーとして生きて来て以来必ずMentor(忠実な助言者、指導者を指す)の存在があった。シンガーとしてのキャリアを始めた頃には、フークアが、そしてMOTOWNではベリーだった。二人ともマービンにとってはMENTORであったが、ゴリ押しや裏切りが重なっていくうちに、師弟関係は破綻した。今のマービンに必要な存在は、どん底から引っ張ってくれる、それも無償の愛を持って、という‥そんな神がかりのようなMENTORが、必要だった。それが、どこからともなく現れたフレディだった。彼は、傷つき、荒れ果て廃れたマービンとユージーニー、そして息子のバビィを彼らをベルギーに招待した。それも無期限で。彼らの為に海辺のアパート、生活資金を用意した。
フレディは、マービンをロンドンにこれ以上居続けさせることは、彼のシンガーとしてキャリアを終わらせてしまうと判断したのだ。ドラッグなしでは生活できないマービンとユージニー。毎日訪れるドラッグディーラー。そして、まだ子供のバビィ。からっぽの冷蔵庫‥このままでは、マービンとユージニーにはよくても、バビィにとってどうなるかわからない。フレディは、この巣窟から彼らを脱出させる事を先決とした。

OSTENDと呼ばれるその街は、人口80,000程度の小さな街。ロンドンの大都市の生活からは、180度転換した世界だった。マービン以外に、黒人はいない、と言っても過言ではなかった。「どこそこに住んでいる黒人」と訪ねれば、必ずマービンの所に行き着く、それ程だった。そこで、マービンとユージニー、バビィはフレディの心からの親切な世話によって、少しずつではあったが、ドラッグから離れるようになっていった。OSTENDでのマービンの生活は、いわゆる「PURIFIED」「DETOX」といえるほど、彼のシステムからドラッグを洗い流すように、質素で清潔であり、規則正しかった。マービンは全ての柵から解き放たれ、つかの間の安らぎを楽しんだ。バビィとフレディの子供たちと一緒に海辺で遊んだり、ベルギーを始め、近隣国の美術館や、博物館などをゆっくりと巡った。

OSTENDでのマービンの横顔


マービンは何十年振りに、誰かを心から信頼する、という事を体験した。デトロイトに初めて来た頃‥。マービンは出会う全ての人間を信頼した。そして、裏切られ、傷ついた。何度も、何度も。そのうちに、誰かを信頼する、という事は不可能に近い感覚となり、今では、数少ないごく親しい人間と、家族しかマービンは信頼を寄せる事はなかった。そんな彼が、新たに知り合った、それもよその国の男を、これだけ信頼寄せるようになったのには、やはりベルギーでのフレディのホスピタリティは並大抵のものではなかった、という事は容易に想像できる。
お金だけではなく、本当に心からマービンの復活を願っての奉仕であった、と言っていい。
マービンは、OSTENDでの生活で、約20年振りの心の平安を取り戻した‥。

暫く日々が過ぎると、やっとマービンも音楽に取り掛かる、という心の余裕が出てきた。海辺のアパートにはピアノがあり、そこでマービンは時々ピアノに向かい、曲作りを始めた。
マービン自身も、これで復活できるかもしれない‥という気持になりつつあった。フレディにも相談した。もしかしたら、レコーディングを始められるかもしれない‥と。まず、マービンが、真剣に正面向かって考えなければならない事はアメリカでの借金のことだった。マービン自身も、それを考える余裕ができた事もあり、フレディはマービンにヨーロッパツアーを提案した。まず、借金をどうにかすること。そして、レコーディングの準備をする‥。マービンは、もう二度とMOTOWNに戻る心積もりはなかった。
「どうにかして、MOTOWNと離婚しなくては」これが、マービンの言葉だった。マービンはMOTOWNと結婚して、何度も危機に陥っては復縁していたが、今度こそ正真正銘の離婚を敢行せねばならなかった。でなければ、新しいスタート、復活はあり得ない、そうマービンは思っていた。と、同時に‥新しいレーベル、レコード会社も探さねばならない。

今のマービンには、そういう現実問題を少しずつではあったが、采配する心の準備ができた、と言っていい。それもこれも、このOSTENDでの心の平安がもたらしのだ。MOTOWNとの離婚交渉は、少々難航したが、それもこれも、CBSのVICE プレジデント、LARKIN ARNOLDとの新しい契約が、その難航を助け、最終的にマービンはCBSレコードとの新しい契約、いわゆる「SWEET DEAL」を結ぶことに成功した。CBSの甘い契約は、MOTOWNでの借金や、IRS(税金)の支払いを肩代わりしてくれる事など、盛りだくさんの契約だった。意外にも、ベリーは最後まで、紳士であったとマービンは、当時のMOTOWNとの離婚劇を回想している。I LOVED THAT MAN‥と、マービンはベリーを語っている。 新しい出発をCBSで切ることになったマービンは、これで本腰を入れて、新しいレコーディングに取り掛かる準備ができたのだった。

「HEAVY LOVE AFFAIR TOUR」ヨーロッパでのツアーが始まった。蘇ったマービンのツアーに、フレディは多少の不安もあった。また、ツアーで回る都市で、何かとマービンのドラッグの欲望が復活しないだろうか‥?女性関係で問題は起きないだろうか‥?などなど‥きりがなかったのだが、結局心配には及ばず、マービンの復活は立派なものだった。ロンドンでは、ちょうど滞在中だったスティービー・ワンダーも、マービンの復活ツアーに飛び込みで舞台に立った。

逆に、ユージーニーが、ツアー中に、マービンのバンドメンバーと関係を持ち、妊娠までしてしまう‥という事実が発覚し、マービンはユージニーの裏切りを詰り、バンドメンバーを解雇してしまう。

前後して、前妻ジャンがパリに来る、という連絡が入った夜、マービンは眠る事ができなかった。ジャンとなんとかやり直せるかもしれない、という期待と、そしてまた、ズタズタに、今まで以上に傷つけあうのではないか、という不安と‥。
結局、最終日のベルギーまで、ジャンと子供たちは、マービンと一緒に回った。

マービンの心の奥底では、いつもジャンがいた。それは、変えようのない事実であり、本心だった。ジャンとやり直すことができるのなら‥その願望は、常にマービンの心の奥底に存在し、離れることはなかった。

ユージニーには、それがわかっていたし、それをどうする事もできなかった。奴隷のように扱われた事もあったけれど、ベルギーに到着して、平穏に暮らしたマービンとの日々は、ユージニーにとっても、久々の平穏でもあった。けれど‥。マービンの心に常に住み続けるジャンには、到底たどり着く事ができない、そのことも彼女の心を傷つけていた‥。
「私は、何もかも捨て、人生までも捧げてマービンと一緒に、どん底で生活して来たけれど‥彼の心の中から、ジャンを取り払う事だけは、絶対にできないことは、わかっていた。それがどんなに私を苦しめたか‥。私だって愛が欲しかった‥私にけを愛してくれる、そんな愛が欲しかったのよ‥。それが、ほんのひと時の、嘘であってもいい‥。心に私だけが存在している、という男に抱かれたかったのよ‥」

彼女の苦しい心を、マービンがどこまで理解していたんだろう‥?私にはわからないけど‥私の想像だけど、彼女は心からマービンを愛したんだと思う。じゃないと、こんなに成り下がってまで、マービンについてくることなんで、なかなか出来ないと思うんだよね。逆にマービンは、彼女を多くの女性の一人として、愛していた、とは思うんだよね。決定的な違いというか‥なんというか。こういう男を愛してしまった女の運命は‥本当に、辛くて苦しいものになるんだな‥って言う事しかいいようがない。

ユージニーと、ジャンはベルギーのアパートで何度もすれ違ったと言う。ジャンはその時のことを振り返る。パリから、ベルギーに一緒について来たジャンとノナ。ユージニーは、マービンの元を去った。まるで、映画のように、アパートの階段で、すれ違うジャンとユージニー。
二人の女を翻弄させる男、マービン‥。既に離婚が成立しているというのに、ジャンもまた、こうしてマービンを忘れられないことも事実だった。けれど、二人の関係が「復縁」することは不可能だった。既に壊れてしまったガラス細工を元に戻すことができないように、一度ズタズタになってしまった二人は、もうどんなことをしても、元には戻らないのだ。結局、ジャンは、ノナそしてバビィをも連れて、マービンの元を去る‥。マービンは、一人になってしまった。すると、ユージニーを呼び戻し、マービンはその悲しみをユージニーにぶつけるのだった。そして、彼女もまた、マービンの呼び声を拒む事ができなかった。

マービンには、愛が必要だった。愛してくれ、彼を抱きしめ、そしてゆりかごを揺らす手のように、マービンを癒し、宥めてくれる女性が必要だった。それは母の存在のようなものでもあるが、母ではできない事、性的欲望を満たしてくれる女性でなくてはならなかった。

ベルギーでの滞在ビサが切れる都合上、マービンは一時的に、ロンドンに戻る。そこで、短期間に滞在中に立ち寄ったナイトクラブで、MIMIという女性(Maryam Talepur)と知り合う。離婚歴があり、イラン革命で、家族ごとロンドンに亡命してきた、という経緯のイラン人の女性だった。そんなバックグランドもあってか彼女の独自の美学とスピリチャルな部分にマービンは惹かれた。その後も、マービンはロンドンに来れば、MIMIの郊外の家に滞在した。MIMIとの関係はロンドンに来た時だけであったが、マービンはMIMIの元で、ドラッグと交じり合うことを逃れた‥。誰も、彼女の電話番号を知らないからだ。
「MIMI、結婚しよう」マービンは言う。
「いやよ」MIMIは答える。
「愛しているんだ、愛していれば結婚するのが、道じゃないか」
「私は、もっと遠くを見ているの。あなたとの結婚がゴールではないのよ。あなたの過去の奥さん達と、あなたをシェアする気は毛頭ないのよ。このままでいいじゃない。会いたい時に会う‥そういう関係も、あなたには必要だと思うわ」
「オレは‥愛しているからこそ、君に捧げたいと思う、お金だって、愛だって‥」
「あなたのお金をもらう程、貧乏じゃないのよ。おあいにくさま」
「MIMI‥」
「私は、もしあなたが、昔の奥さん達を忘れて、私だけを愛してくれるというのなら、考えてもいいと思っている。だけど、あなたにそれが無理な事は100も承知。それができないのなら、私はあなたのものになることは絶対にできないのよ。その方が、お互いの為だってわかるの。今のあなたにはわからなくても、もし私と結婚したら、絶対に後悔する日が来るわ。だからこそ、私はあなたとの関係をそんな形で終わらせてしまうなんて、したくないのよ‥」

マービンは、こうして女性に癒されていく過程を実際に体験してゆく‥。

こうして、マービンはまた、途中だったレコーディングを完成させるために、OSTENDに戻るのだった‥。このレコーディングで「SEXUAL HEALING」が生まれるのだが、そこでは、またレコード業界特有の「嫉妬」「お金」「DEMAND」「裏切り」がマービンを脅かす事になる‥。
# by leonidy21 | 2006-09-18 10:46 | MARVIN GAYE
In Our Lifetime
ヨーロッパツアーで荒稼ぎしたお金の殆どは、ドラッグに消えていく毎日の中、MOTOWNとの関係は悪化していった。遅れに遅れているアルバム、そしてこの前のロイヤルGALAの一件、などなど、それでなくてもギクシャクしている関係は悪循環だった。経済的に追い詰められて、マービンは仕方なく、レコード作成を強いられた。その間、SMOKEY ROBISON、STEVIE WONDERに、お金のヘルプを頼むが、二人ともお金は貸さず、アドバイスだけを渡した。
「マービン、眼を覚ませ。ドラッグも程々にしないと、身を滅ぼすぞ。まずは、レコーディングだ。お前にとって、今フォーカスしなくちゃいけないのは、新しいアルバムだ、マービン」
SMOKEYは、そう言ってマービンを諭した。唯一、兄貴的存在であった、フークアだけが、マービンにお金を貸してくれたが、やっとこさっとこ滞納していた家賃を払うまでだった。

レコーディングスタジオで、何がどうなったのか、真相は誰も定かではない。。が、憶測ではあるが、MOTOWNから送られた人間の誰かが、MATER TAPEを持ち出した、というのが大筋らしいけれども、マービンが作成中だったアルバムが、勝手にMOTOWNに持ち帰られ、そのままレコードがリリースされたのだ。

マービン自身も知らないまに1981年の初頭「IN OUR LIFETIME」が店頭に並ぶ事になる。
まず、アルバムのタイトル。「Is the world coming to an end in our life time?」というタイトルだった。これが、いつのまにか「In our life time」に変更されていた。そのうえ、「Far Cry」この曲は、まだ初期段階であり、まだま手を加えねばならないと感じていた曲だった。そのうえ、ギターやベースを加えられ、全く違うものになっていた。この時のマービンの怒りは物凄いものだった。

彼の言葉で言えば‥

How Dare THEY Second Guess My artistic decisons!!「ヘィ、ピカソ、おまえこの絵、何をたらたら書いているんだよ、時間がかかりすぎなんだよ。仕方ないからな、俺達がお前の絵を仕上げておいたぜ」
こんな事を言われたら、一体どう思うか!? I was Deeply Heartbroken. I was hurt so bad. オレはMOTOWNを絶対に、絶対に‥許さない!

このMOTOWNの裏切りに、マービンはとても深く傷ついていた。しかし、MOTOWN側から見れば、この3年間、アルバムを待ち続け、待ち続け。。。このままでは、金だけを送り続け、全く実にならない可能性もある、という不安があった。ビジネスはビジネスである。売れてナンボのレコード会社の世界だ。奇麗事で済むはずもない。

In our Lifetime のセールスの結果.....は、結局、それ程の売り上げにはならなかった。確かに、MOTOWNの気持もわからないではないけども、マービンのアーティストとして、もう少し理解して、もう少し時間をあげてくれたら、もっと違うIn Our Lifetimeのアルバムになっていたかもしれないのにね。。。どちらも、どっちではあるけど、ビジネスの世界は厳しいよなぁ。。。
でも、実際ここでアルバムを出さなかったら、、マービンもまた、ドラッグに埋もれ、レコードリリースどころではなかったかもしれないし、なんともいえない後味の悪い展開ではあったと思うけどもね。。。

さて、このアルバムのジャケ。

雲の上に、二人のマービンが向き合って座っている絵。
左は羽のついたマービンと、円光と鳩。右は悪魔を現すように、黒い外套マービン。その二人のマービンが、CHEKERSをプレイしている図だ。これは彼自身の心、DIVIDED SOULを表しているのだという。DARKな部分と、スピリチャルな部分。。。彼のそういう部分を歌にして現したかったアルバムだったのだ。この頃の彼は「GOOD vs EVIL」という思想に取り付かれていた。
manichaeism(マニ教)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E6%95%99

もちろん、マービンはジーザスの名前は敢えて挙げはしなかったけれども、世界の罪の為に苦しむキリスト、という風に自分を見つめていた。このアルバムで彼が表現したかったのは、神に対する渇望と、愛する女性に対しての渇望を比較し、その愛が純粋であるということだ。結局、その深い想いは、このアルバムでは未完であり、次回作の「セクシャルヒーリング」の世界で、それを表現する事になるのだが。

この頃のマービンには、ユージーニーの存在も、癒しではあったけれど、彼の心の奥底で欲していたのは、ジャ二スだった。もう、再び取り戻せない関係とは知っていた。その愛は誰をもってしてでも、ジャ二スの代わりにする事は不可能だったと言う。このアルバムでの「Heavy Love Affair 」に、その奥深い痛みに彼女を欲する想いが歌われている。
マービンの深い悲嘆と、そして希望が、複雑に交じり合ったアルバム「Is the world coming to an end in our life time?」になるはずだったのだ。

うーーーーん、ファンとしては、、聴きたかったよねぇえ。。。残念。
「これが、MOTOWNでの最後のアルバムになるだろう。オレの歌う声を、MOTOWNかのレコードから二度と聴くことはないだろう」とマービンはきっぱり、プロモーションのインタビューで断言している。。。言葉通り、これが彼の生きている内ではMOTOWN最後のアルバムになった。

ロンドンでの最悪な漂流の日々も、意外な人間の協力で終わりを告げる事になる。
# by leonidy21 | 2006-09-15 12:04 | MARVIN GAYE
ROYALE SHAFT
晩餐会に続いて、マービンが歌う事になっている段取りの時間になっても、モチロン彼の姿は会場にあらず、だった。招待客も徐々に、その様子に気づいている様子だった。
ジェフリーは頭から冷や汗が滝のように流れていた。
「絶対に、絶対に許さん!あのクソ男、絶対にぶっ殺してやるっ!!」彼の心の声は罵りの言葉を叫んでいた。
プリンセスマーガレットは、マービンが現れない事に、落胆している様子だ。プリンセスは、マービンの大ファンでもあったのだ。ジェフリーは会わす顔がなかった。


「いいことを思いついたぞ」
マービンはひらめいたように言った。
「ジェフリーと、家族、それとヤツの関係のクルー全員を会場から追い出させろ。やつら、そうだな‥全部で30人くらいか?そうしたら、出かける準備をしようじゃないか」
「マービン!!」
ココまで言う彼をウンと言わせるには、もうそれしか方法がない、とミセス・プライスは判断した。ジェフリーにその連絡を入れた。そして、それしかマービンを動かせない、とわかったジェフリーは、その要求に応じたのだった。
そして、マービンは会場へと警察のエスコートと共に、リムジンで向かった。会場まで、約40分程かかったが、会場に着いた頃には、既に夜中の12時をちょっと回る前だった。
マービンのリモが会場に入ると入れ違いに、プリンセスマーガレットのリモが、まるで船がすれ違うように、通り過ぎるのをマービンは眺めていた。マービンはプリンセスに気弱に手を振った。もちろん、プリンセスにはマービンが手を振っていたなど見える術もなかったが。
「バィ、プリンセス。これは、オレの意図するところじゃなかったさ。プリンセス、あなたには全く敵意も、嫌味もなかった。単に、これはオレとジェフリーの問題さ」

マービンは会場に入り、予定された通りにショウを始めた。観客は帰った人もいたが、殆ど残った観客は、マービンに野次を飛ばした。誰もが、腹の虫が治まらないという感じで、マービンの歌をまともに聴いてはいなかった。たったの20分、歌っただけで、それも、歌の途中で、カーテンが突然降りてきた。
「この夜に、最高に相応しい幕の下り方だったな‥ははは」
マービンは、苦笑しながら、カーテンが下りて後、ボソっと呟いた。

翌日。
イギリスのゴシップニュースでは、マービンの所業をコテンパンに詰る記事がアチコチに掲載された。「SOUL SINGER SNUBS ROYALTY!」などの見出しで、派手に記事を飾った。
いかにあの夜のショウがSHABBYで、しょうもなかったか、ソウルシンガーもここまで堕ちたか!などなど‥マービンのショウについても、コテンパンだった。

後の、EBONYのインタビューで、マービンは回想している。
「どうせ、オレはSHITHEADさ」
マービンは完全に開き直っていたし、別に気にする様子もなかった。
「誰もスナッブになってなんかいないさ。ただ、オレはあのショウの為に、プレッシャーをかけられ、これ以上できない、という状態にまで追い詰められた。ダメなものは、ダメなんだ。それを無理やり追い詰める権利は誰にもないさ、それがたとえプリンセスだろうが、なんだろうが」

後にフランキーは、彼の本でこう語っている。
「あの1件は、いろんな事が言われているけれど、例えばドラッグで完全にハイだったとか‥いろいろ。だけど、マービン自身、パフォームをしようと努力はしたんだよ。彼なりの解決方で。プリンセスがマービンが来ないから、怒って帰った、という話が先走りしているかもしれないが、プリンセスは、プロトコルでもう会場を去らねばならなかっただけのことで、退場する事にはなってしまったけれど‥。マービン自身は、プリンセスに対して、侮辱するつもりも全くなかったし、彼女が帰ってしまったことに対しては、申し訳なく思っていた。確かに、プリンセスは、マービンに会えなくて残念がってはいいたけれど、プレスがあんな風に騒ぐことになるとは、思ってもみなかったらしい‥」

とまぁ‥マービン劇場は、こんな感じ。笑 はははは。
私も、マービンの味方人間なので(笑)どうしても、フランキーの見解に賛成したい。まぁ‥確かに、大人げない、行動だとは思うけど‥ね、マービンも。でも、マービンという人間を理解していれば、こんなことにはならなかったんだろうなぁ‥とも思うワケで。なんとも、マービンもまた不器用に自分の心に正直なんだよね‥。それを通す為なら、他の人の迷惑とか、顧みないところがあるからね‥。

その後‥。
全ての日程を終え、マービンはアメリカに帰るはずだった。が、ギリギリの所で、トラブルの山積みになっているアメリカ、ロサンゼルスへ帰る気には、どうしてもなれなかった。怒った発狂したジェフリーは、あのコンサートの復讐で、コンサートツアーのバンドメンバー達のチケットを全部キャンセルしてしまったのだ。ギャラさえも払わずに、ジェフリーはマービンの元を去った。おかげで、マービンらはロンドンに借りたフラットで、出発できなかったバンドメンバー12人が寝泊りすることに。そこには、マービンの母とバビィもいた。母は、12人の為に、12人分の賄いを作り、バビィの世話した。毎晩繰り広げられるパーティや、ドラッグ三昧の日々が2週間くらい過ぎた頃になって、やっとMOTOWNから、メンバーのお金を工面して送ってきた。それらで、徐々に散っていった。母もまた、後髪を引かれながらも、長くロサンゼルスの家を空けることも出来ない為、残されるバビィを気遣いながらも、アメリカに帰国する。
後に、ジェフリーは、この件については否定していて「あれは、マービン側の人間の誰かが、お金を掠め取った!」と主張している。

この頃になって、ユージニー・ビスという24歳のオランダ人の白人女性と付き合うようになる。彼女は、マービンのコンサートツアーでアムステルダムで、出会った女性だ。マービン・ゲイという存在も、ドラッグも、何もかも全く知らない、本当に「カントリーガール」であった彼女は、たまたま、友人に誘われて、このアムステルダムのマービンのコンサートに行った事で、彼女の人生は180度転換する事になる。その友人が、たまたまバックステージパスを持っていて、マービンと個人的に出会う機会が訪れた訳だ。(う、羨ましい‥けど、でもある意味‥大変な人生でもあるよね‥汗)
ユージニーは、この頃になって、マービンに「ロンドンに来ないか」と持ちかけられ、アムステルダムを後にして、ロンドンのマービンの元へ来て一緒に住むようになるのだ。マービンにとっては、ジャ二ス以来のステディな女性、という事にもなる。

ユージニーがロンドンに着いて、仰天したのは‥マービンは既に、他の女性と関係も持っていた。いわゆる、セックスフレンドと言う様なセックスを楽しむ為の女性だ。とはいえ、女性にとっては、他の女性は存在は面白くはない。田舎から出て来た彼女に取っては、あまりにも衝撃的な事実だったに違いない。
「いやだったら、出て行っていいさ」

そう言うと、その女性は出て行き、ユージニーは出て行かなかった。と言うよりも、出て行く場所もなかった、と言う方が正しいが。それで、ユージニーはマービンとの生活が始まったと言う。けれど。ユージニーとマービンの関係は、微妙だった。「愛」と呼ぶには少し違った。
強いて言えば「奴隷」のような感じだったと言っていい。マービンの世話し、料理し、バビィの世話をし、そしてセックスの相手もした。この状態は、まるでマービンの父と、母の関係に似ていた。そんな自分を嫌悪しながらも、そうなっていくのをどうする事もできない。その自己嫌悪、そしてイギリスでの再度のツアーを挑戦するが、うまく事が運ばす‥など、マービンの生活は、再び廃れ始めていく。昼間まで寝ていて、起きたら鼻からコケインを吸い、そしてまた寝る。そして夕方になって起きたと思えば、またコケイン。夜になると出かけていくが、ユージニーは家で待たされるのだった。ハイの時のセックスは、マービンはユージニーに完全に奴隷になりきるように命じられた。ハイでないときのセックスは、愛情に溢れてとても優しかった、とユージニーは回想している。

1グラム、50ポンド。80年代のロンドンのコケインの代金だ。2,3ラインを1日で吸う。
その時の、収入は1週間で1000ポンド。MOTOWNのベリーから送ってもらっていた。とても、この調子ではお金が持たないのは眼に見えていた。お金と一緒にくる「アルバムはまだか!?」の催促に、マービンは辟易していた。ハワイに居た時にアルバム作成に取り掛かっていたが、まだ熟していない状態であり、マービンにしてみれば「その時」が来なければ、どうしてもアルバムに身を乗り出す事などできない。けれど、MOTOWN UKは強引にマービンをODESSEYレコードのスタジオに押し込み、アルバム作りを強要した。これが、あの「IN OUR LIFETIME?」というアルバムだが、このアルバムの話しは、また次回にでも‥。
# by leonidy21 | 2006-09-13 11:40 | MARVIN GAYE
< 前のページ 次のページ >